人気ブログランキング | 話題のタグを見る
「古事記って、何が書いてある?」 (その3・終わりの章)
こんにちは、こんばんは。
「古事記って、何が書いてある?」 (その3・終わりの章)

稲葉の素兎(しろうさぎ)を助けた大穴牟遅神(後の大国主命)に、とんでもない災難が降りかかりました。

何も知らずに、ハ十神の求婚旅行に同行していた大穴牟遅神(後の大国主命)対して、美しいハ上比売(やがみひめ)は
「私は、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))の妻になるつもりです」とハ十神の求婚を断ってしまいました。

断られた事に怒ったハ十神は、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))を何とか殺してしまおうと考えました。

そこで、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))に、山の上から猪を追い落とすから、必ず捕まえるようにと言い渡し、赤く焼けた石を、山の上から転がしました。
大穴牟遅神は、転がって来る大石に立ち向かい、赤く焼けた石に押し潰されて死んでしまいました。

大穴牟遅神の死を知った母神は、天に登り神産巣日之命(かむむすひのみこと)に我が子を助けて頂けるよう頼みました。


「古事記って、何が書いてある?」 (その3・終わりの章)_a0183245_23223817.jpg



赤貝の粉を集め、蛤の汁に溶いて火傷に効く薬を作り、ふたりの比売(ひめ)が大穴牟遅神の体に塗ると、たちまち立派な男に戻り、すっかり元気になりました。


ところが死んだはずの大穴牟遅神が元気にしているのを見て、ハ十神は再びはかりごとを考え巡らし、今度は、楔(くさび)を引き抜いて、大穴牟遅神を挟み殺してしまいました。

またも母神が生き返らせ、「このままではハ十神に滅ぼされてしまう。須佐之男命(すさのおのみこと)の国に行きなさい。必ず、その大神が、取り計らってくれるでしょう。」

母神に言われた通り須佐之男命の所に行くと、須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりびめ)と出会い、二人はたちまち惹かれ合い、すぐに結婚しました。

すると須佐之男命は、自分の娘を嫁にやる人物として十分かどうか見定めようとされ、まず、蛇の室で寝かせ、次に百足(むかで)と蜂の室に寝かせました。その度に須勢理毘売(すせりびめ)に助けられるのですが、火に囲まれ、絶対絶命のところを鼠に救われ、やっと、須勢理毘売(すせりびめ)と再会しました。

けれど須佐之男命は、さらなる試練を与えました。
今度は、自分の頭のシラミを取らせました。大穴牟遅神がシラミを取ろうとして覗くと、頭の上で動いているのは、シラミではなくなんと百足(ムカデ)でした。

またしても須勢理毘売(すせりびめ)の助け舟で救われた大穴牟遅神に対して、須佐之男命は心の中で、「けなげな奴だな」と安心され、お眠りになりました。

大穴牟遅神は、須佐之男命の髪を束ねて、その部屋の太い柱に結び付け、さらには、五百人もの人で引くほどの大きな岩でその部屋の入り口をふさぎ、須勢理毘売(すせりびめ)を背負って逃げました。

驚き目を覚まされた須佐之男命は、地上世界との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追って来て、大きな声で大穴牟遅神に向かって叫びました。

「その生太刀と生弓矢で、おまえの兄弟たちをやっつけろ。また、川の瀬に追って行って打ち払え。そして、おまえは大国主神(おおくにぬしのかみ)、宇都志国玉神(うつくしくにのかみ)となって国を作り、わが娘の須勢理毘売(すせりびめ)を正妻として、出雲の山に、地底の石を土台にして太い柱を立て、天空に千木を高く上げて、壮大な宮殿を建てるのだぞ。この奴(こいつめ!)」

「大国主神」という名を頂き、この後、言われた通り大人数の兄弟であるハ十神を次々に追い詰め、倒していきました。
そして、はじめて国をお作りになりました。

これが、大国主神の国作りの始まりです。

う~ん。神話といえども、いささかドロドロですねえ。。。。。。。。。(心のつぶやき)

大国主神は、すでにハ上比売(やがみひめ)という妻がいらっしゃいました。そこへある日、須勢理毘売(すせりびめ)という新しい妻を連れてお帰りになったので、ハ上比売(やがみひめ)は、自分の子を木の俣に挟んで実家に帰ってしまいました。

その後も、高志国(北陸地方)に沼河比売(ぬなかわひめ)という美しい姫がいるとお聞きになり、求婚する為に家をでていきました。

う~ん。古事記が教科書に載らなかったのも、分かるような気もします。。。。。。(心のつぶやき)。

その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、神々の総意により高天原(たかまのはら)・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていらっしゃるのですが、出雲の大国主神に使いを出し、
「汝が領有する葦原中国は、我が御子の知らす(治める)国である。汝の考えは、いかがなるものか」
すると、大国主神は「私が申し上げることではございません。我が子が申し上げる事でしょう」とお答えになりました。

大国主神の子の建御名方神(たけみなかたのかみ)は千人力、しかし天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使いの建御雷神は、簡単に建御名方神を手で握りつぶし、遠くに投げ飛ばしてしまいました。

科野国の州羽の海(しなののくにのすわのうみ)(長野県の諏訪湖)に追い詰め殺そうとした時「どうか私を殺さないでください。今後この地から他には行かない事にします。この葦原中国は、天つ神御子(あまつかみみこ)の命ずるまま献上いたします」

こうして天照大御神(あまてらすおおみかみ)の太子(皇太子)が葦原中国に降って、高天原(たかまのはら)・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めました。
その子の爾爾芸命(ににぎのみこと)が降臨する時に、鏡・勾玉・剣の三点を賜い、その後も、この三種の神器は、天皇の皇位の証になり今に続いているのです。

爾爾芸命(ににぎのみこと)の子孫が、初代「神武天皇」(じんむてんのう)であり、その後綿々と三十三代 推古天皇へと続いていくのです。
           
                ― ブログでの古事記はここで お、わ、り、ます ー
 参考書 「現代語 古事記」竹田 恒泰著
ここまで読んで下さった方に感謝します。
それでは、またお目にかかりましょうね
by mgmomoko | 2011-09-28 23:22 | 教育