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「古事記って、何が書いてある?」 (その3・終わりの章)
こんにちは、こんばんは。
「古事記って、何が書いてある?」 (その3・終わりの章)

稲葉の素兎(しろうさぎ)を助けた大穴牟遅神(後の大国主命)に、とんでもない災難が降りかかりました。

何も知らずに、ハ十神の求婚旅行に同行していた大穴牟遅神(後の大国主命)対して、美しいハ上比売(やがみひめ)は
「私は、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))の妻になるつもりです」とハ十神の求婚を断ってしまいました。

断られた事に怒ったハ十神は、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))を何とか殺してしまおうと考えました。

そこで、大穴牟遅神(後の大国主神(おおくにぬしのみこと))に、山の上から猪を追い落とすから、必ず捕まえるようにと言い渡し、赤く焼けた石を、山の上から転がしました。
大穴牟遅神は、転がって来る大石に立ち向かい、赤く焼けた石に押し潰されて死んでしまいました。

大穴牟遅神の死を知った母神は、天に登り神産巣日之命(かむむすひのみこと)に我が子を助けて頂けるよう頼みました。


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赤貝の粉を集め、蛤の汁に溶いて火傷に効く薬を作り、ふたりの比売(ひめ)が大穴牟遅神の体に塗ると、たちまち立派な男に戻り、すっかり元気になりました。


ところが死んだはずの大穴牟遅神が元気にしているのを見て、ハ十神は再びはかりごとを考え巡らし、今度は、楔(くさび)を引き抜いて、大穴牟遅神を挟み殺してしまいました。

またも母神が生き返らせ、「このままではハ十神に滅ぼされてしまう。須佐之男命(すさのおのみこと)の国に行きなさい。必ず、その大神が、取り計らってくれるでしょう。」

母神に言われた通り須佐之男命の所に行くと、須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりびめ)と出会い、二人はたちまち惹かれ合い、すぐに結婚しました。

すると須佐之男命は、自分の娘を嫁にやる人物として十分かどうか見定めようとされ、まず、蛇の室で寝かせ、次に百足(むかで)と蜂の室に寝かせました。その度に須勢理毘売(すせりびめ)に助けられるのですが、火に囲まれ、絶対絶命のところを鼠に救われ、やっと、須勢理毘売(すせりびめ)と再会しました。

けれど須佐之男命は、さらなる試練を与えました。
今度は、自分の頭のシラミを取らせました。大穴牟遅神がシラミを取ろうとして覗くと、頭の上で動いているのは、シラミではなくなんと百足(ムカデ)でした。

またしても須勢理毘売(すせりびめ)の助け舟で救われた大穴牟遅神に対して、須佐之男命は心の中で、「けなげな奴だな」と安心され、お眠りになりました。

大穴牟遅神は、須佐之男命の髪を束ねて、その部屋の太い柱に結び付け、さらには、五百人もの人で引くほどの大きな岩でその部屋の入り口をふさぎ、須勢理毘売(すせりびめ)を背負って逃げました。

驚き目を覚まされた須佐之男命は、地上世界との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追って来て、大きな声で大穴牟遅神に向かって叫びました。

「その生太刀と生弓矢で、おまえの兄弟たちをやっつけろ。また、川の瀬に追って行って打ち払え。そして、おまえは大国主神(おおくにぬしのかみ)、宇都志国玉神(うつくしくにのかみ)となって国を作り、わが娘の須勢理毘売(すせりびめ)を正妻として、出雲の山に、地底の石を土台にして太い柱を立て、天空に千木を高く上げて、壮大な宮殿を建てるのだぞ。この奴(こいつめ!)」

「大国主神」という名を頂き、この後、言われた通り大人数の兄弟であるハ十神を次々に追い詰め、倒していきました。
そして、はじめて国をお作りになりました。

これが、大国主神の国作りの始まりです。

う~ん。神話といえども、いささかドロドロですねえ。。。。。。。。。(心のつぶやき)

大国主神は、すでにハ上比売(やがみひめ)という妻がいらっしゃいました。そこへある日、須勢理毘売(すせりびめ)という新しい妻を連れてお帰りになったので、ハ上比売(やがみひめ)は、自分の子を木の俣に挟んで実家に帰ってしまいました。

その後も、高志国(北陸地方)に沼河比売(ぬなかわひめ)という美しい姫がいるとお聞きになり、求婚する為に家をでていきました。

う~ん。古事記が教科書に載らなかったのも、分かるような気もします。。。。。。(心のつぶやき)。

その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、神々の総意により高天原(たかまのはら)・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていらっしゃるのですが、出雲の大国主神に使いを出し、
「汝が領有する葦原中国は、我が御子の知らす(治める)国である。汝の考えは、いかがなるものか」
すると、大国主神は「私が申し上げることではございません。我が子が申し上げる事でしょう」とお答えになりました。

大国主神の子の建御名方神(たけみなかたのかみ)は千人力、しかし天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使いの建御雷神は、簡単に建御名方神を手で握りつぶし、遠くに投げ飛ばしてしまいました。

科野国の州羽の海(しなののくにのすわのうみ)(長野県の諏訪湖)に追い詰め殺そうとした時「どうか私を殺さないでください。今後この地から他には行かない事にします。この葦原中国は、天つ神御子(あまつかみみこ)の命ずるまま献上いたします」

こうして天照大御神(あまてらすおおみかみ)の太子(皇太子)が葦原中国に降って、高天原(たかまのはら)・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めました。
その子の爾爾芸命(ににぎのみこと)が降臨する時に、鏡・勾玉・剣の三点を賜い、その後も、この三種の神器は、天皇の皇位の証になり今に続いているのです。

爾爾芸命(ににぎのみこと)の子孫が、初代「神武天皇」(じんむてんのう)であり、その後綿々と三十三代 推古天皇へと続いていくのです。
           
                ― ブログでの古事記はここで お、わ、り、ます ー
 参考書 「現代語 古事記」竹田 恒泰著
ここまで読んで下さった方に感謝します。
それでは、またお目にかかりましょうね
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by mgmomoko | 2011-09-28 23:22 | 教育
「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」   
こんにちは、こんばんは。

「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」   
―忙しくて読めない方の為に。


「最も好きな国はどこですか?」との問いに、自国を挙げる国が多い中、日本では、日本の国に、日本人自身に、誇りを持てていない若者が増えているように感じます。

日本人は、世界がどれだけ日本に注目しているか、正確に把握しておくことは大切なことだと思います。

「日本人が、日本人としての誇りを取り戻す事が出来る最後の機会が到来していると確信している。」と竹田先生は言っています。

ペリー来航以来、日本的なものは封建的な古臭いものとして、無価値のレッテルを貼られ、
さらに、大戦終結後は、軍国主義の源として完全に否定されてきました。

しかし、その日本的なものを近年、世界の人々が高らかに賞賛していることを、日本人は、もっと知る必要があります。

「英国BBCの調査で分かった日本の人気」
英国のBBC放送が33カ国、約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」の最も高く評価されたのが日本だったのです。

台湾は、ラブジャパンの大御所と言われていますが、
2010年の調査でも、52% 過半数の人が、「日本が最も好き」と答えています。

年齢別内訳では、65歳以上が58%、20代が72%、30代が77%と若い世代には絶大な人気を誇っています。

日本語教育を受けた70歳以上が親日的であると考えられていましたが、むしろ若い世代が最も親日的であることが分かりました。また、学歴が高い人程 日本に親しみを感じていることも分かりました。

日本のイメージは、「自然の美しい国」 「経済力、技術力の高い国」 「決まりを守る国」
「豊かな伝統と文化を持つ国」です。

英BBCの日本に対する調査で、33カ国中、2カ国が否定が肯定を上回わりました。その中の一つの国が中国ですが、その中国ですら、中国人の若者にとっては「最も好きな国」が日本であることが分かりました。

中国の全国紙「環球時報」が調査会社に委託して、北京、上海、広州、武漢、重慶の5都市在住の15歳から64歳までの男女1350人に聞いたところ、最も好きな国の5位に日本が入っていました。

15歳から20歳に限れば、第1位に入っているようです。
中国では、反日教育を今でも継続していての、この数値には驚かされます。

反日国家の権化である北朝鮮でも、金正日総書記は大の日本好きで知られています。長男の金正男氏が東京ディズニーランドに行こうとして、日本に不正入国しようとしたこともまだ、記憶に新しい出来事です。

また、世界最大級のオンライン旅行会社のエクスペディアは、2009年、世界のホテルマネージャーに対して、各国観光客の国別評価を調査したところ、「ベストツーリスト」(最良の観光客)に3年連続で日本人が選ばれています。

また、欧州、アメリカ、アジア、アジア太平洋の地域別に集計された結果でも、日本人は、すべての地域で1位に評価されました。

「行儀の良さ(その国のマナーや一般的なエチケットを守る)」 「礼儀正しい」 「部屋をきれいに使う」 「騒がしくない」 「不平が少ない」の項目でも1位に選ばれました。

総合評価においても、日本人は71点、二位の英国が52点、三位のドイツが51点と大きく引き離しての一位です。

これだけ褒められたら、少しは元気になってきましたでしょうか?

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いまや日本は、美食天国としても世界に認知されています。
「ミシュランガイド2010」では、東京の三つ星が11軒となり、はじめてパリの10軒を上回ったのです。これにより、東京は、総軒数、総星数だけでなく、三つ星の軒数までも世界最多になったのです。

「ミシュランガイド」第六代社長のジャン・リュック・ナレ氏は、東京が高い評価になった理由を次のように述べています。

パリを美食家の都市というが、東京は驚くほど素晴らしい飲食店が多かった。多くの人々が料理を楽しんでいるからだ。日本料理はクオリティーも素晴らしい。シェフのレベルもどの都市より高く、何よりシェフ固有の技術がよく伝授されている。数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統は追随が難しい、、、、、、などなどまだ続きますが省略。

これだけ褒めて頂いている事実に対して、決して舞い上がることなく、冷静に、謙虚に、真摯に受け止め、私たち自身、自分のルーツにもっと関心を持ち、自信と誇りを持っていく必要があるのではないでしょうか?

参考書籍 「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」 竹田 恒泰著
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by mgmomoko | 2011-09-27 11:41 | 教育
「古事記って、何が書いてある?」 その2
こんにちは、こんばんは。

「古事記って何が書いてある?」 その2

ハ岐大蛇(やまたのおろち)から娘を救った須佐之男命(すさのおのみこと)の六世孫である大国主神(おおくにぬしのかみ)が、いよいよ国作りを始めることになります。

須佐之男命(すさのおのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟でいらっし
ゃるので、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、天照大御神と始祖を同じくすることが分かります。


しかし、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、皇位継承権は五世孫までと決められていましたから天つ神の子孫でありながらも、高天原(たかまのはら)の統治権を持たないのです。

大国主神は、始めは大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)と呼ばれていました。
大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)には、大勢の兄弟神、ハ十神(やそがみ)がいました。

ハ十神はみな稲羽(鳥取県東部)に住むハ上比売(やがみひめ)を自分の妻にしたいと考えていました。彼らが求婚の為に稲羽に出かける時、大穴牟遅神(大国主神)はまだ若く、従者として同行し、荷物を背負わされて行列の一番最後を歩いて行きました。
大きな荷物をかつぐものは、身分が低いか、末息子のどちらかであったようなので、恐らく大穴牟遅神(大国主神)は、末っ子だったのでしょう。

ハ十神一行が気多(鳥取市周辺)の岬の辺りに来ると、毛をむしられて皮膚が真っ赤になった一匹の兎(うさぎ)が横たわっていました。その哀れな兎に、ハ十神は「海水を浴び、風に当ってから、山の岬の上でうつ伏せになりなさい。」と言いました。

兎は、その教えの通りに海水を浴び、風に当たり、うつ伏したのですが、浴びた海水が乾くと、その身は風に吹き裂かれ、皮膚はヒビだらけになってしまったのです。

兎が苦しんで、泣き伏しているところに大穴牟遅神(大国主神)が通りかかりました。

大穴牟遅神(大国主神)が、泣いている理由を尋ねると、

隠岐の島にいて、この地に渡ろうとしましまが、その術(すべ)がありません。そこで海に住む和邇(わに)を欺き「私とあなたを比べて、どちらの方が、一族が多いか数えてあげましょう。
あなたはありったけの一族をことごとく率いてきて、この島から気多の岬まで列になって伏して並びなさい。そうしたら私はその上を踏んで、走りながらその数を数え、そして私の仲間とどちらが多いか比べてあげよう」と言いました。

和邇(わに)がだまされて列になって伏すと、私はその上を踏んで、数えながら渡り、まさに地に降りようとしたその時、私が、「君たちは、私にだまされたのだ」と言い終わるや否や、一番端に伏していた和邇(わに)が、私を捕えて、私の毛をことごとく剥ぎ取ってしまったのです。そこで、泣いていると先にここを通りかかったハ十神が「海水を浴び、風に当たって伏しなさい」と言うので、その教えの通りにしたら、わが身はことごとく傷付いてしまいました」

大穴牟遅神(大国主神)は、痛みに苦しむ兎に次のように教えました。

「今すぐ河口に行き、淡水であなたの身を洗い、河口に生える蒲の穂(がまのほ)の花粉を取って敷き散らして、その上に寝返りして転がれば、あなたの肌は元のとおりにか必ず癒えるでしょう」

古くから、蒲の花粉には治血,治痛作用があるとされ、大穴牟遅神(大国主神)は、医療の神ともいわれます。



この兎が「稲羽の素兎」(いなばのしろうさぎ)で、大穴牟遅神(大国主神)にこう申し上げました。「ハ十神は、ハ上比売(やがみひめ)を得られず、あなた様は、袋を背負う賤しい仕事をしていますが、必ずやハ上比売と結ばれることでしょう」

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この予言は見事に的中。
ハ十神がハ上比売(やがみひめ)に求婚すると、「私は、あなたたちの妻になるつもりはありません。大穴牟遅神(大国主神)の妻になるつもりです」と答えました。

ハ十神は怒り大穴牟遅神(大国主神)を殺すことに決めました。―――

「いなばのしろウサギ」の話は、知っていましたが、なぜだいこく様が大きな袋を持っているのか、素兎も、白ウサギと思っていたりと、私は、いろいろ謎が解けて面白いです。

ではまた、お目にかかりましょうね!
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by mgmomoko | 2011-09-18 13:00 | 教育
「古事記って、何が書いてある?」その1
こんにちは、こんばんは。

「古事記って、何が書いてある?」その1

古事記をご存じない日本人は、恐らく一人もいないと言ってもよい程に歴史書として有名です。でも、実際は、難しくて読めない!と読む前から諦めていたことに、竹田 恒泰先生の「現代語古事記」を読んで気づきました。

竹田先生には、申し訳ありませんが、その中から特に興味深い部分を抜粋してお伝えしたいと思います。

天地(あめつち)が初めて発(あらわ)れた時、高天原(たかまのはら)に成った最初の神は天之御中主神でした。この神は、独神(ひとりがみ)でした。独神とは、男女の区別が無い神でした。

その後も独神が五柱(神様は人ではなく一柱(ひとはしら)と言う)あらわれ、その後の三代から男神と女神に分かれ、七代になって、やっと私達にも馴染みのあるお名前の、伊耶那岐神(いざなきのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)が成られ、日本列島をお生みになられたのです。

いざなきの神といざなみの神とは、大変仲が良く多くの神々を成られた(創られた)のですが、火の神様がお生まれになる時、いざなみの神は深刻な火傷をおわれ、その後も苦しみながらも多くの神々を成られたのですが、看病のかいなく神避り(さむさり)あそばされてしまいました。

いざなきの神は、大変悲しみ黄泉国(よみのくに)にお出かけになるのですが、いざなみの神との約束を破って御殿の中にお入りになり、変わり果てたいざなみの神の姿を見てしまい、怒ったいざなみの神におくられた悪霊たちに追われることになってしまいました。

いざなきの神といざなみの神が大石を挟んで向き合い、いざなきの神が夫婦離別の呪文を述べると、「愛しい夫がそのようにするのであれば、あなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう!」と恐ろしい声をあげました。それに対していざなきの神は、「愛しき妻がそのようにするのであれば、私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう!」と決別し、いざなみの神は、黄泉(みよ)の大神として、いざなきの神は現世(うつしよ)の大神としてお進みになることになったのです。

よみの国からお帰りになったいざなきの神は、「自分はいやな穢れ(けがれ)た国にいってしまったので、禊ぎ(みそぎ)をして身を清めようと禊祓(みそぎはらい)をしました。この時多くの神々が成られたのですが、その中でいざなきの神の左目から成られたのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)でした。いざなきの神は、大変お喜びになり「自分は子をたくさん生んできたが、その果てに貴い三柱の子を得た」と仰せになり、自ら付けていらっしゃった首飾りを天照大御神に賜い「高天原(たかまのはら)を知らせ(治めろ)」と命ぜられました。

天照大御神が成られた時に、いざなきの神の鼻から成ったのが、勇猛迅速に荒れ狂う神である須佐之男命(すさのおのみこと)でした。

すさのうのみことのひどい行いにもかかわらず、天照大御神はこれをお咎め(おとがめ)にならず弟をおかばいになっていましたが、弟の悪態はひどくなる一方でした。

ついに天の岩屋戸をお開けになって、洞窟の中にお引き籠もりになったのです。
すると、高天原(たかまのはら)は暗闇に包まれてしまいました。

昼が来ない夜だけの世界になり万(よろず)の神の声が夏蝉のように満ち溢れ、よろずの災いがことごとく起こるようになったのです。

ここからは有名なお話。多くの神々が岩戸の前に集まり、岩屋戸の前で神楽を踊り、八百万の神がどっと笑った声をお聞きになり、天照大御神は、岩屋戸を少し開いて覗こうとしたところ大力の神が天照大御神の御手をつかんで外に出し、しめ縄をはって元に戻れぬようにされたのです。

高天原を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は、自らの罪を購うために神がみに食事をお供えになりました。

須佐之男命が出雲の国の川上に行くと、どうしたことか老人夫婦が娘を挟んで泣いています。聞けば、娘が八人いたのですが、毎年ヤマタノオロチがきて一人ずつ食べてしまうというのです。
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 この話は、八つの頭と八つの尾を持つオロチに須佐之男命が、八つの強い酒船を用意し酔っぱらって寝てしまったところを退治し、お腹から草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を取り出し、これが三種の神器の一つになったことを、ご存知の方も多いかと思います。

話は、まだまだ続きますが、ご興味の無い方にはごめんなさい。
でも、自国の神話を知らない民族は、100年で滅びると言いますから 興味がないではすまされないかもしれません。日本は、後30年で100年になるそうですよ。
「なぜ日本人は世界で人気ものなのか」竹田恒泰著より
それではまたお目にかかりましょう。
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by mgmomoko | 2011-09-13 21:39 | 教育
『山の上の方が、時間が早く進むのは本当?』 アインシュタインの世界より
こんにちは、こんばんは。
『山の上の方が、時間が早く進むのは本当?』 アインシュタインの世界より

今日9月3日は、台風12号の来襲による暴風警報発令の為、急遽スクールが休みとなり、思わぬ時間を頂くことになりました。

かと言って、精力的に何かをする気にもなれず、午前はぐずぐず過ごしてしまいました。

夕方近くなってやっとメールのチェック、その後も無気力状態は続き、何か面白い本でもないかなあと、昔の本をペラペラめくって見ていると図解「アインシュタインの世界」が目に留まりました。

といっても彼の相対性理論について難しく書かれたものではなく、

例えば
アインシュタインと言えば、舌を出した写真が有名ですが、この写真が撮られた背景は?なぜ舌を?とか
アインシュタインの暮らしぶりは?などが載っているものでした。

「アインシュタインの舌を出した写真」は、1951年3月14日彼の72歳の誕生日に撮影されたもの。

パーティーの後、車に乗り込んだアインシュタインにカメラマンが、「笑ってください。」と注文をつけた所、即座にこの表情をされたとか、その後、この特ダネ写真は、世界中に配信されましたが、アインシュタイン自身も、この写真を大そう気に入っていたそうです。

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また、「真実は美しく単純である」

というのが生涯持ち続けた信念であり、実生活においても身の回りの物を、必要最小限にとどめるというシンプルな暮らし方を実行していたそうです。

『過剰な物事の前では人はその奴隷となるばかりであり、それを持たない事で自らの自由を拡大しよう』
というのが彼の考えだった。

う~~~~、古着を片付けよう!!

一般相対性理論から、こんな面白い説明も出来るというので、ちょっとご紹介。

1.双子のうちの一人が非常に高い山に登り、もう一方は地上に残ることにしました。
2.二人はそれぞれ山の上と地上で長い年月暮らしました。
3.二人が再び会った時、双子のうちの山で暮らした方は、地上で暮らした方よりずっと年を取っていたのです。
(山が高ければ高い程、時間の差は大きく 山で暮らした方はお爺さんになって帰ってくる。というイラストが書かれていました。)

何故?
極めて正確な周波数で振動する光は、時間を定義する際の基準となっている。このような光も重力の強い所では、エネルギーは減少し、それにつれて振動数も少なくなり波長の間隔が伸びる。(下界)このような光を重力の弱い所にいるものが見た場合、振動数が少なくなった分だけ、時の刻みは遅れることになる。重力の弱い山の上では、波長の間隔が短くなった分 時間が早くなる。(山の上)

なるほど!
下界の下界はあるかしら??

                     ―アインシュタイン 一般相対性理論からー  
 面白くなかったら、ごめんなさいね。

それではまた、お目にかかりましょう。                 
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by mgmomoko | 2011-09-03 19:01
「うさぎとジェリッド先生を描きたい!の巻」教室風景 その2
こんにちは、こんばんは。

「うさぎとジェリッド先生を描きたい!の巻」教室風景 その2


4歳のみくちゃん(仮名)は、スクールに来ても男の先生とは口をききません。
そうした状況が3カ月ほどしたある日、アートの男の先生と粘土のレッスンをすることになりました。

小さなおててでは、なかなか丸くこねるのは難しく、力の入れどころを教えるのに、先生の手を、みくちゃんの手の上に重ねて、粘土をこねるコツを教えました。五感にふれることで、心を開いてくれたりする事を、よく良く知っているのです。
そのレッスンからアートの先生とは、少しずつお話が出来るようになってきました。

お母さまからも、「家族以外で、はじめて話せるようになった男の人です。」と言われた程でした。

こうした状況ですから、アメリカ人のジェリッド先生とのプライベートレッスンでも、話は聞いてはいますが、なかなか話そうとはしませんでした。

けれど今年の夏の2泊3日の合宿に加え、夏期の講習に積極的に参加されてからは、別人のように積極的になり、いろいろなレッスンを心から楽しめるようになってきたのです。

今日は、アートのプライベートレッスンの日です。
アートの壱岐先生が、「今日は、みくちゃんの好きな絵を描いてみましょう。何を描きたい?」と聞くと、
「うさぎとジェリッド先生を描きたいです。」と、はっきり!

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最初に大好きなうさぎの絵を描きました。

次に、教室の横でレッスンの準備をしているジェリッド先生の絵を描き始めました。それも正面から描くのではなく、ちらり、ちらりと横目で見ながらジェリッド先生の全身を描いていきました。

そうして出来上がった絵は、なんと金髪のモヒガン頭の先生でした!
モヒガンはちょっと可哀そうですが、ジェリッド先生のヘアスタイルは、微妙に真中が立っているヘアスタイルではあるので、それを実に良く見ていたのです。思わずクスッと笑ってしまいました、でも凄い!

できあがった絵を早速ジェリッド先生に見せに行きました。

ジェリッド先生も、大きな 身体を3つに折り畳んで、本当にうれしそうに「Is this me?これは、私ですか?」と何度も聞き「ありがとう!」と本当に喜んでいました。

この様子を微笑ましく見ていた壱岐先生、「昔は、壱岐先生、壱岐先生と言ってくれましたが、今はジェリッド先生が、大好きなんです。」と、ちょっと寂しそう。

これって、小さな三角関係??(笑)不謹慎でした。すみません。

小さな子ども達の感情も日々成長し、少年に、少女に、だんだん近づいて行っているのですね。
本当に、素晴らしい事です!!

それでは、またお目にかかりましょう!
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by mgmomoko | 2011-09-01 11:07 | 教育